東京で防災住宅を建てるならRCdesign

くもりのち雨の東京です。

そんな今日は朝から練馬区平和台計画検討、見積作成、板金屋さんと電話、商社さんと電話、来客面談、お問合せ対応、文京区本郷計画検討、提携会社さんと電話など。

午後は見積作成、文京区根津計画検討、中野区大和町計画検討、資料作成、お問い合わせ対応、解体屋さんと電話など。夕方は原稿作成、板橋区双葉町計画検討、ミーティングなど。

予想に反して冷え込みましたが、ちょっとは空気が湿ったと思います。

ではこちら。

【阪神大震災23年】「命に復興はない」松田浩さん、妻と子の生きた証伝える

「もう誰も、同じような悲しい目に遭いませんように」−。

 阪神大震災で最愛の妻と生後間もない長女を失った神戸市の会社員、松田浩さん。家族を救えなかった後悔は今も消えることはない。

それでも、風化を防ごうと自らの体験を少しずつ人に話せるようになってきた。17日で震災から23年。松田さんは「2人が生きた証しを伝えたい」と、今を生きる。
2018年1月17日 5時7分 産経新聞

私の人生の中でも、一番影響を受けた出来事だったように思いますが、すでに23年が経ってしまい、その間にも大きな災害が繰り返されています。

この震災以降、木造住宅を作るのを止め、RC(鉄筋コンクリート)住宅のみを提供していくことに決め、命を守れる住宅を1棟でも多く供給することを使命としてきました。

しかしながら、まだまだ力が及ばず、施工能力にも限りがありますので、望まれる全てにお応えすることが出来ていない状況を非常に歯がゆく思っています。

世界有数の災害大国で世界一危険と言われる日本を、一番安全な国にするために、もっともっとがんばらなくてはいけない、今日は改めてそんな思いを確認させていただきました。

災害では、そこから学ばなければいけないこと多くありますが、阪神大震災の時は6割、東日本大震災の時も半数以上が電気関係が原因で火災が発生したと言われています。

これは通電火災というもので、地震が発生した後に、ブレーカーを落とさずに外へ避難してしまい、後に停電が復旧した際に、地震で倒れていたり家具の下敷きになっていた電気製品が再び作動してしまうことがあり、これが火元となってしまうものです。

ですので、避難する時は必ずブレーカーを落とすか、あらかじめ感震ブレーカーなどを設置しておくなどの対策をしておきましょう。

この災害を知らないという人も増えてきたと思いますが、日本人として、決して忘れてはいけない出来事のひとつですので、是非諸先輩の方々にもお話しを聴いてみてください。

手元の資料によると、概要は下記のとおりです。

阪神・淡路大震災
1995年1月17日午前5時46分に発生したマグニチュード7.3の直下型地震で、震源地は兵庫県・淡路島北部。淡路島や神戸市、同県西宮市、芦屋市などでは気象庁観測史上初の震度7を記録しました。死者6434人、行方不明者3人、負傷者4万3792人に上り、全半壊した住宅は約25万棟。兵庫県内では震災直後、最大約32万人が避難した。被害総額は約10兆円とされています。

それでは。



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