東京はまた夕方スコールがありました。
そんな今日は朝から坂下のお客様とお電話、中野高田計画検討、1丁目計画検討、その後金融機関へ、帰社後は春日町のお客様とお電話、板金屋さんと電話、鶴瀬計画検討など。
午後は蓮根の不動産会社さんと坂下のお客様宅訪問、成増の物件視察、打ち合わせなど。帰社後は小石川計画の現場へ、社内検査立ち会い。夕方は春日町計画検討、草加計画検討など。
帰宅したら家の中がどうも静かだと思ったら次男が合宿に行っていて居ないからでした。アホな愚息でも居ないと寂しいものですね。
今日はそう、63回目の原爆の日ですのでこちらを残したいと思います。
[広島原爆忌]こども代表平和への誓い(全文)
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
突然のするどい閃光(せんこう)と爆風で、数え切れない多くの尊い命が失われました。 あの日、建物疎開や工場で働くために出かけていった子どもたちは、63年たった今も帰りません。「いってきます。」と出かけ、「ただいま。」と帰ってくる。原爆は、こんな当たり前の毎日を一瞬で奪いました。
原爆は、やっと生き残った人たちも苦しめます。
放射線の影響で突然病に倒れる人。
あの日のことを「思い出したくない」と心を閉ざす人。
大切な家族や友人を亡くし、「わしは、生きとってもええんじゃろうか?」と苦しむ人。
でも、生き抜いてくれた人たちがいてくれたからこそ、私たちまで命が続いています。平和な街を築き上げてくれたからこそ、私たちの命があるのです。 今、私たちは、生き抜いてくれた人たちに「ありがとう」と心の底から言いたいです。
忘れてはならない原爆の記憶や、核兵器に対する怒りは、年々人々の心から薄れていると思います。しかし、人の命を奪う戦争や暴力は、遠い過去のことではありません。
この瞬間にも、領土の取り合い、宗教の違いなどによる争いによって、小さい子どもや大人、私たちと年齢の変わらない子どもたちの命が奪われています。
失われた命の重さを思う時、何も知らなくて平和は語れません。
事実を知る人がいなくなれば、また同じ過ちがくり返され、戦争で傷つき、命を失った人たちの願いは、かき消されてしまいます。だから、私たちは、大きくなった時、平和な世界にできるよう、ヒロシマで起きた事実に学び、知り、考え、そして、そのことをたくさんの人に伝えていくことから始めます。
また、私たちは、世界の人々に、平和記念式典が行われ、深い祈りの中にある広島に来てほしいと思っています。ヒロシマのこと、戦争のことを知り、平和の大切さを肌で感じてほしいのです。
そして今こそ、平和を願う子どもたちの声に耳をかたむけてほしいのです。
みなさん、見ていて下さい。
私たちは、原爆や戦争の事実に学びます。
私たちは、次の世代の人たちに、ヒロシマの心を伝えます。
そして、世界の人々に、平和のメッセージを伝えることを誓います。
平成20年(2008年)8月6日
こども代表
広島市立幟町小学校6年 今井 穂花
広島市立吉島東小学校6年 本堂 壮太
2008年08月06日12時44分 / 提供:毎日新聞
最近は広島へ修学旅行に行く学校も少ないと聞きます。とても残念です。原爆記念館の拝観は必修のことだと思うんですけど。
私も何か出来るかと言われれば何も出来ないかもしれません。でも日本人に生まれたからには全国民がその残酷さを語り継ぎ世界に発信していかなければいけないと思います。
当然日本人が侵した残酷な罪も一緒に後世に語り継がなくてはいけません。とにかく戦争という行為を関係した各国が冷静に事実を記録して決して繰り返してはならないことと誓うことが必要ですね。
遅ればせながら黙祷したいと思います。
では。
今日もありがとうございます。