朝から冷たい雨でしたが、午後には止んでくれました。
そんな今日は朝から資料作成、金融機関廻り、帰社後は信用調査会社さん来社、打ち合わせ。1丁目計画検討など。
午後は横浜方面へ、会合出席。今回も有意義な会合となりました。帰社後は高松計画検討、千駄木計画検討、向丘計画検討、商社さんと電話など。
雨が降っている時は良いんですけど、雨上がりの時がいつも以上に舞うのが花粉なんですよね。明日も多量に飛散しそうですので、十分な対策をしたうえで外出するようにしましょう。
ではこちら。
ユーモアは死語となった
ユーモアという言葉が死語になっていることにお気づきだろうか。
近頃の、紙やすりでこすりあうような人間関係も、ユーモア不在が大きな原因になっている。学校教育にユーモアを取り入れることはできないものか。
ユーモアは探しても探しても見つからない時代なのに、笑いは世に満ちている。テレビの番組を見ると、笑わせるためのプログラムがぎっしりと詰まっている。ところが、これはユーモアとは無関係なお笑いだ。お笑いとユーモアは対極にあるものであることを日本人は知らないらしい。
ユーモアはそよりと風のように吹く。鼻先をきもちよくくすぐられ、思わず口元がほころびる。それに較べてお笑いは暴力的で、被害者が必要だ。
2009年02月20日20時27分 / 提供:ツカサネット新聞
確かにユーモアという言葉を聞かなくなったかもしれません。
ユーモアのある人やモノにも会わなくなりましたね、と言うかユーモアのわかる人も少なくなったのかもしれません。
教育的には顔が赤くなるほど叩いたり、蹴っ飛ばしたりすることや、差別、弱い者イジメ的な内容を笑いにすることは良くないに決まってます。
ところが何故か日本人ってそんな品の無い笑いも許されちゃうところがありますね。
特にこれまでも不景気になると流行るようなところは他人の不幸を見ることで自分の居場所を確認しているということなのでしょうか。
人を癒す力がある笑いだけに人を傷つけてはいけません。
考えてみるとユーモアって難しいですね。
ユーモアセンスがあって、違いのわかる大人になれるようがんばります。
それでは。
今日もありがとうございました。