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くもり空の東京です。

そんな今日は朝から社内ミーティング、お問い合わせ対応、北区赤羽方面でご検討のお客様にご来社頂き打ち合わせなど、ありがとうございます。渋谷計画検討、資料作成、提携会社さんと電話など。

午後からは行政書士さん来社打ち合わせ、その後渋谷区のお客様宅訪問打ち合わせなど、ありがとうございます。夕方帰社後はお客様とお電話、税理士さんと電話、港区南青山計画検討、お問い合わせ対応、資料作成、ミーティングなど。

昨日は予想以上の雪となりましたが、被害などはございませんでしたでしょうか。

ではこちら。

志村けんさんを悼む 「笑わせるのではなく笑われる」 みんなが愛した国民的コメディアン

3月下旬では32年ぶりとなる都心での積雪が観測された29日の夜、志村けんさんが亡くなった。

最期の日が雪ならば、国民的コメディアンが第一歩を踏み出した最初の日も雪が降っていた。

1968年2月。卒業を控えた都立久留米高の3年生は、弟子入りを志願して「ザ・ドリフターズ」のリーダー・いかりや長介さんの自宅前に立ち続けた。最初は当然ながら拒否。しかし、何日も何日も通いつめた後のある日のこと。降りしきる中で12時間も立ち続け、頭にも雪が積もっていた志村さんの姿を見て、いかりやさんが「家に入れ」と言った逸話が今、思い出される。
2020年3月30日 16時23分 スポーツ報知

故人のご冥福を心からお祈りしております。

もちろん日本国民で知らない人はいないと思いますが、時代と共に各世代の方がそれぞれの記憶に楽しい時間を過ごさせて頂いたのではないでしょうか。

私の時代ではやはり「8時だヨ!全員集合」です。昭和の時代の家族の団欒、そんな記憶が思い出されます。

世代によっては、この「全員集合」ではなく、「ごきげんテレビ」や「バカ殿」などがタイムリーだったという人もいらっしゃるでしょう。

また、「だいじょぶだぁ」や「ヒゲダンス」も、さらに「アイーン」や「変なおじさん」は、今もときおり利用しているご同輩もいると思います。

間違いなく日本を代表するコメディアンだったに違いありません。

記事にあった志村さんの言葉で、「遊んでるように見せるんです。見てる人に『いいよなあ』『遊んでるみたいで』って思わせておいて、その実、中身はしっかり一生懸命やっているというのが一番。」という言葉が、非常に心に響きました。

日本人が心を一つにする機会を、与えて頂いたような気がします。

私も変なおじさんに近づけるよう頑張ります。ありがとうございました。

それでは。

今日もありがとうございます。

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