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「世界のタンゲ」知る漫画完成 設計の思い、“ある1日”も丹念に

愛媛県今治市で少年期を過ごした世界的建築家、丹下健三(1913〜2005年)。その功績を子どもたちに伝えるため、同市が独自制作した漫画「丹下健三 世界のタンゲと呼ばれた建築家」が完成した。

原爆の惨禍を世界に伝える広島市の平和記念公園や平和記念資料館本館(国重要文化財)などの設計に込めた丹下の平和への思いをたどり、未来への指針とした。丹下にとって忘れられない「ある1日」も丹念に描かれている。
2024年4月16日 7時30分 毎日新聞

なるほど。

世界のタンゲです。さすがです。

多くの日本人が知っている建築家って、そう多くはありませんが、丹下さんはそんな中でも近代のパイオニアと言えるような方ではないでしょうか。

まさに終戦以降の日本を復興と発展に導いたように思いますし、その後の日本建築に大きな影響を残したに違いありません。

記事にもありましたが、「建築界のノーベル賞」といわれる米プリツカー賞を日本人で初めて受賞した丹下。いずれも国重要文化財の香川県庁旧本館・東館、国立代々木競技場(東京都)などを手がけ、戦後モダニズム建築の旗手として活躍した。

堺市に生まれ、銀行員だった父の転勤で生後まもなく中国へ渡った。7歳で父の故郷である今治市へ移り、旧今治中(現今治西高校)卒業までの10年ほどを過ごした。市の核となる市庁舎、公会堂、市民会館など丹下が手がけた七つもの建築作品群が残る都市は、全国で今治以外にはない。

漫画は豊川斎赫(さいかく)・千葉大工学部准教授が原案と監修を担当し、今治市在住の漫画家、愛馬広秋さんが作画。丹下の長男で建築家の丹下憲孝氏も協力したそうです。

内容としては、今治で過ごした少年期から旧広島高等学校(現広島大)時代、2年間の浪人を経て旧東京帝大(現東京大)建築学科に進み、戦時下も次々にコンペティション(競技設計)に入選して頭角を現す姿を描いている。

丹下にとって忘れられない1日は、「1945・8・6」と題した章で紹介されている。当時30代の新進建築家として東京で活動していた。「父死ス」の電報を4日前に受け、ようやく手にした切符で今治に向かっていた45(昭和20)年8月6日、列車の中で広島への「新型爆弾」投下のうわさを聞く。以降の内容なネタバレになってしまいますので自粛させて頂きますが、ハンカチをご用意の上ご自身でお読みください。

2023年は丹下の生誕110年だった。25年は没後20年に当たり、顕彰のため今治市は市内の小学5年生全員に漫画を配布したそうです。10日には丹下が卒業した小学校の流れをくむ市立吹揚(ふきあげ)小で贈呈式があったとか。

残念ながら漫画は非売品なのですが、なんとも親切な今治市電子図書館では、サイトから閲覧できるようになっていますので、是非ご覧になってください。



それでは。

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