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くもり一時雨の東京です。

そんな今日は朝から渋谷区桜丘計画検討、お問い合わせ対応、目黒区でご検討のお客様とオンラインミーティング、渋谷区計画検討、図面作成、書類作成など。

午後は事務機器メーカーさん来社、社内システムチェックなど、法務局と税務署へ書類受け取りに、帰社後は北区赤羽計画検討、信用金庫さん来社打ち合わせ、提携会社さんとオンラインミーティングなど。夕方は来客面談、お問い合わせ対応、渋谷区計画検討、ミーティングなど。

防災の日となりましたね。例年ですと各所で避難訓練が行われていましたが、今年は少なかったのではないでしょうか。各ご家庭でも自主的に確認しておきましょう。

ではこちら。

東京を襲う巨大地震…過去の教訓は生かされているのか?

いまから100年近く前の9月1日。首都圏を中心に襲った関東大震災。東京の都心から下町地域は大規模な火災により、壊滅的な被害を受けました。

以降、火災の延焼を防ぐ都市公園が造られるなど、防災を意識した復興がされましたが、震災は遠い昔の話。その経験は、現在の東京の街に生かされているのか、検証していきましょう。
2020年9月1日 11時15分 幻冬舎ゴールドオンライン

なるほど。

せっかくの防災の日ですが、今年は防災訓練も行われず、皆さんの意識や注意を喚起することが出来なかったのではないかと、少々心配になります。

コロナ禍の中においても、災害が待ってくれるという保証はありませんので、常に防災の意識を高めておく必要があると思います。

今日9月1日は防災の日ですが、これは自然災害についての認識を深め、その災害に対処する心構えを準備するために、1960年に制定されました。記事にもあったように、この9月1日という日付は、10万人以上の死者・行方不明者を出した「関東大震災」に由来することはご存知の通りです。

記事によれば、関東大震災が起きたのは、1923年9月1日11時時58分32秒ごろ。相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9の巨大地震が首都圏を襲ったということ。

この時は最大震度が7で、震源に近い神奈川県西部の山間部では大規模な山崩れや土石流が発生し、沿岸部では大津波が発生。都市部では多くの建物が倒壊したうえ、ちょうど昼食時間帯と重なっていたため、調理用の火が元となり至るところで火災が発生し、大規模な延焼となってしまったんですね。

伝えられている被害(全半壊、焼失、流失、埋没など)を受けた住宅は、東京で205,580戸、神奈川で125,577戸など、計37万戸強。死者・行方不明者は、東京で70,387人、神奈川で32,838人など、計10万5,000人以上ということです。

特に焼死が多かったのは、日本海沿岸を北上する台風の影響で、関東地方に強風が吹いていたことが原因となったそうです。特に現在の墨田区横網にあった陸軍本所被服廠跡地(現在の横網町公園)では火災旋風が起き、約4万人もの人が犠牲になってしまったそうです。

この時も台風と地震という複合災害という状態だったことがわかりますが、今のようにウイルスという災害や台風の影響下でも、地震が発生しないという約束は出来ません。

記事でも書かれていましたが、時間の経過によって記憶が風化していくことは仕方がないことかもしれません。しかし、だからこそ常に防災を意識し続けることが大切で、教訓を生かして備えることが必要だと思います。

そこで記事で紹介されていたのは、甚大な被害を後世に伝えようと、大規模な自然災害の状況や教訓を刻んだ「自然災害伝承碑」が、全国各地で作られているということ。

しかしながら、その存在さえも忘れられることが多く、平成30年に起こった西日本豪雨災害では、大きな被害を受けた地区に100年以上前の水害を記した石碑があったものの、活かされることはなかったといいます。

そしてこれを教訓として、2019年には自然災害伝承碑の地図記号が選定され、ウェブ版の地理院地図や2万5千分の1地形図(紙版)に掲載されるようになりました。

もちろん東京にも関東大震災の記憶を伝える、自然災害伝承碑が多く残されていますので、お住いの地域にもあるか、是非探してみて頂き、先人の方達が残してくれた教訓を生かして、今後の防災につなげたいものですね。

安全で強い街づくりに、是非ご協力ください。

それでは。

今日もありがとうございます。


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