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曇り、かなり寒い東京です。

そんな今日は朝から資料作成、池袋本町計画段取り、税理士さん来社打ち合わせ、材料屋さんと電話など。

午後は金融機関へ、本駒込計画検討、南品川計画検討、資材メーカーさん来社、原稿チェックなど。夕方は検査機関と電話、新規企画検討など。

もう、急に冷え込むもんだから体が追いつきませんよね、って東北や北海道の方々からは笑われそうですが、皆さんくれぐれもお体ご自愛くださいませ。

ではこちら。

短くも鮮烈に駆け抜けた「キャロル」の伝説とその後

ジョニー大倉 、内海利勝、ユウ岡崎、そして矢沢永吉。ロックバンド「キャロル」は矢沢永吉を語る上で欠かせない。その伝説を振り返りつつ、メンバーたちの今を追ってみた。

キャロルのデビューは1972年。リーゼントに革ジャン、そして骨太なロックサウンドは、歌謡曲とフォークソングが全盛だった日本の音楽シーンに大きな衝撃を与えた。当時は日本語のロック自体が珍しく、「ファンキー・モンキー・ベイビー」に代表されるように、英語も絶妙に織り交ぜる歌詞の手法は、現代のアーティストたちにも受け継がれている。わずか3年という短い活動期間ながら、伝説と語り継がれる由縁だ。
2009年12月16日12時00分 / 提供:シゴトの計画

おおっと、こんな記事がネットに掲載されていましたよ。

あ、そこのオヤジさん、まいど!

知らない、または興味のない方もいらっしゃるかもしれませんが、少々お付き合いのほどを。

キャロルは私の年代だと、ちょっと上の先輩の影響で聴き出した中学生の時にはすでに伝説となっていました。

それでもその容姿や音はそれまで音楽イコール歌謡曲だった少年にはかなりの衝撃でした。

その後矢沢のソロ活動やバイクに対する興味が出始めた少年はCoolsなどにも憧れたものです。

で、今回記事に記載されていたのはジョニー大倉が今年に入って死亡説がネット上などで流れたものの、本人は親しい関係者を通じて体調を崩して入退院を繰り返しているが命に別状はないこと。

内海利勝は近年ソロのベストアルバムを発表するほか、「BLUES FILE NO.1」 というバンドを結成して精力的に活動しているそうです。

ユウ岡崎は、現在「C's Graffiti Japanese Rock'n Roll Band」というバンドでライブハウスを中心に活動しているそうです。

いずれにしても元キャロルのメンバーはさすがです。まだまだ元気な"アラ還ロッカー"でいてくれているようです。

さあ、アラ還の先輩方に負けぬよう、私たちもがんばりましょう。

それでは。

今日もありがとうございました。

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