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そんな今日は朝から書類チェック、蓮根の不動産会社さん来社、世田谷区中町計画検討、内装会社さん来社、構造担当と電話、資料作成など。
午後は図面作成、向丘計画検討、提携会社さんと電話、田柄計画検討。夕方は南大井計画検討、目黒区大岡山計画検討、ミーティングなど。
昨晩はまた大きな余震があってビックリしましたね、本震以来最大の余震だったようですが、東京でも結構な揺れで、ちょっと構えました。被災された東北の方たちはどれほどの恐怖だったかと思います。お見舞いを申し上げます。
ではこちら。
関東大震災からの復興のシンボルだった看板建築
実は看板建築の誕生は、関東大震災による被害とそこからの復興に、大きな関係がありました。今もなお残るいくつかの看板建築は、震災から復興した日本の生き証人でもあるのです。
これから復興をめざすにあたり、関東大震災の当時を「みちくさ学会」的視点、あるいは歴史から学ぶ視点で振り返ってみるのもいいかと思います。少しおつきあいいただければと思います。
看板建築は関東大震災からの復興で誕生した看板建築については、一般に関東大震災後の建築様式とされています。(一説には震災前から類似の様式があったとも言われていますが、ここでは通説に従います)
看板建築が建てられた理由について、今までいくつかご紹介してきました。例えば、「銅板で葺いたファサード(前面)は防火対策のつもり」であったとか「道路拡張のあおりで土地が狭くなった分、2階建て、擬似的な3階建てを建てて対応した」というような話をしてきましたが、これは関東大震災復興ならではのエピソードです。
関東大震災以前、東京の建物は江戸から続く木造建築が主流でした。木造建築は燃えやすいという難点があり、蔵については漆喰で作るなどの防火対策がされてきましたが、あくまで建物の一部に過ぎませんでした。ましてや銀座のような洋風建築の街並みはごくわずかだったのです。
2011年04月08日11時00分 提供:みちくさ学会
看板建築と言われてもなかなか一般的にはご存じない方も多いと思いますが、都内の比較的古い街並みの中には今も残っている2階建てなのに3階建てのように高く見える、屋根から上に壁が立ち上がっていて銅板などで装飾されている建物のこと。
けっして看板を貼り付けている建物のことではありません。
この看板建築という様式が関東大震災以降普及したそうなんです。
看板建築と言われてもなかなか一般的にはご存じない方も多いと思いますが、都内の比較的古い街並みの中には今も残っている2階建てなのに3階建てのように高く見える、屋根から上に壁が立ち上がっていて銅板などで装飾されている建物のこと。
けっして看板を貼り付けている建物のことではありません。
この看板建築という様式が関東大震災以降普及したそうなんです。
関東大震災(1923年9月1日発生)では、日本災害史上最大の被害でした。死者・行方不明 10万5千余、住宅の全壊・半壊30万以上、焼失は20万以上といわれています。
当時の政治家たちはいち早く震災からの復旧、つまり元に戻すのではなく、復興、つまり今まで以上に盛んにする、という姿勢で大震災からの建て直しを図ったそうです。
また当時導入されたのが「都市計画」です。近代的な都市に必要な道路を新しく引いたり、道路の幅を拡張する計画がされました。昭和通りや靖国通り、明治通りなど、都内を通る今ある太い道路のほとんどは当時の都市計画が元になっているんですね。
あらためて当時の記事などを読むと、意外と今と時代背景などが似ていてびっくりしますが、そんな大災害からも見事復興した日本って本当に凄いと思います。
その中で看板建築は「銅板で葺いたファサード(前面)は防火対策のつもり」であったとか「道路拡張のあおりで土地が狭くなった分、2階建て、擬似的な3階建てを建てて対応した」など、当時は結構本気で取り組んでいたのかもしれません。
私としては今こそ現代の看板建築とも言うべき建築を普及しなければいけないと思っています。
あなたとあなたの大切なものを守る、街を守る、そのためにRC(鉄筋コンクリート)造の建築をオススメしています。
それでは。
今日もありがとうございます。
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