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良い天気の東京は若干寒さが緩みました。
そんな今日は朝から社内ミーティング、その後世田谷区代沢計画検討、江東区東葛西のお客様とお電話、和光計画検討、資料作成、関連会社さん来社、提携会社さんと電話、西新宿計画検討など。
午後は世田谷区中町の現場へ、雑誌取材立ち会いなど。帰社後は打ち合わせ、確認申請準備など。夕方からは練馬の不動産会社さんへ、打ち合わせ、帰社後は設備屋さんと電話など。
日当たりの良い場所では春を感じることが出来ましたが、例のアレも確実に飛んでいると思われます。しっかりとご対応いただけますようお願い申し上げます。
ではこちら。
今では生活に欠かせない椅子が日本で広まった経緯とは
現代の私たちは、椅子式の生活を当たり前のように受け入れていますが、日本の家庭で椅子を使うようになったのはそれほど昔ではありません。しかも、椅子が欧米文化の象徴として抵抗された時代もあったということを知る人は、今ではほとんどいないのではないでしょうか。
椅子をめぐるこだわり ロシアVS日本幕末に欧米諸国とのさまざまな条約を取りかわした時のこと。日本側がもっとも神経を尖らせた問題は、なんと椅子の使用について。そう、1853年にロシア提督プチャーチンが開港や漂流民に関する条約を求めて長崎に来た際、日本は条約そのものよりも、授与式における座り方にこだわり続けたと言うのです。
ロシア側は椅子に座って授与式を行うことを主張。対する日本側は正座式で授与式を行うよう主張し続けたそうです。私たちの感覚からすると「どっちでもいいんじゃない…?」という感じですが、それくらいに椅子は文化を象徴するものだったのですね。
結局この戦いはどうなったかと言うと、双方の間に机を置き、それを挟んで立ったまま授与式を行うハメに……。しかし、双方ともだんだんと疲れて、ロシア側が椅子を持ち出してきます。対する日本側はどうしたかと言えば、椅子に座ったロシア側の相手の目線に高さを合わせるために、なんと畳を重ねてその上に座ったのだそうな…
そこまでするか?!もはや、笑い話みたいなお話です。
2012年02月20日12時41分提供:Kmonos
なるほど。
いや、本当に今となっては笑い話になってしまいますが、当時は本気で戦っていたのだと思います。
それまではもっぱら床に座る生活様式だったわけですから、それを椅子に座るということ自体が相手の術中にはまるように思われても仕方がありません。
そもそも畳でさえ、土の上に座っていたのが、筵(むしろ)を敷くようになり、さらにそれを重ねて敷いたりして、そのうちに縁を付けて縫ったのが畳の原型と言われています。
なんでも8世紀あたりから使われるようになり、江戸時代になってやっと庶民にも普及してきたということですので、それなりに時間がかかっているわけですね。
ということで、椅子だって日本に浸透するにはそれなりに時間がかかったようで、最初はお役所、銀行、学校と、公的な場所で使われていたようです。
そういえば、一昔、いやふた昔前、私が子供の頃も部屋はすべて和室でしたので、畳の上に絨毯を敷いて、そこで椅子を使っていた記憶があります。
やはり昭和の時代は、まだまだ3丁目の夕日的な、今からすると懐かしい雰囲気がいっぱい残っていましたね。
そう考えると時代の変化って、意外と時間がかかるような、それでいてあっという間に変わってしまうような、複雑な感じがします。
そんな中でも、住宅については近い将来日本におけるスタンダードとなるのが鉄筋コンクリート(RC)住宅なんです。
弊社ではその鉄筋コンクリート(RC)住宅の普及に尽力しています。
それでは。
今日もありがとうございます。
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