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まだまだ雲の多い東京です。

そんな今日は朝から目黒区鷹番計画検討、見積作成、都市銀行さん来社打ち合わせ、豊島区千川計画検討、地盤調査会社さんと電話、渋谷区東計画検討、信用金庫さん来社打ち合わせ、渋谷区恵比寿2丁目計画検討など。

午後は西台のお客様ご来社面談、電気屋さんと電話、設備屋さんと電話、資料作成、杉並区久我山計画検討、電気屋さん来社、蓮根の歯科医院計画検討など。夕方は設備屋さん来社打ち合わせ、業者さんと電話、渋谷区東計画検討、文京区向丘計画検討など。

なかなか夏が戻ってきませんが、気づけば7月も今日で終わりですね。良い夏にしましょう。

ではこちら。

江戸の「ガーデニング」は世界一! 時代小説から見る、花のお江戸の百花繚乱

7月30日から「江戸東京博物館」で開催されている、特別展「花開く 江戸の園芸」。
当時世界でも突出したガーデニング技術を持っていたという江戸の園芸文化を紹介している同展の概要によると、今から150年前に来日したイギリスの植物学者で、新しい植物を採取するために西欧諸国から全世界へと派遣された「プラントハンター」であったロバート・フォーチューン(中国の秘伝であったチャノキとその製法をインドへと持ち出してダージリン地方に植え、茶の中国独占を打破した人物。詳しくは『紅茶スパイ 英国人プラントハンター中国をゆく』(サラ・ローズ:著、築地誠子:訳/原書房)は、庶民までが花好きであることに驚嘆したという。 

関が原の戦いに勝利した徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開いた1603年から大政奉還をした1868年までの265年間は、大きな戦乱もなく太平の世であった。平和になると文化が発達するのは世の常で、江戸では花卉園芸が発達して新品種が開発され、人々の目を楽しませていたそうだ。
ダ・ヴィンチ電子ナビ2013年07月31日11時30分

なるほど。

日本では京都に代表される枯山水などの日本庭園が知られていますが、多くは寺院や大名屋敷などで表現されたひとつの様式美ですので、一般庶民の文化とは言えないものだったかもしれません。

一方、江戸では庶民でも草花を育てる文化が発達したようですが、江戸と園芸にそんな歴史があったとは、おそらく知らない人も多いのではないでしょうか。

それにしても、今から思うと江戸時代って本当にいい時代だったように思えますね。もちろん戻ることは出来ないんですけど、これからの時代に、何が人の幸福であるかのヒントがいっぱいあるように思います。

記事では、徳川家康を始めとする徳川将軍家も花好きの人が多かったこと、三代将軍の家光は盆栽にのめり込んでいたということ、また江戸城には「御花畠」があり、様々な草木が育てられていたということが書かれていました。

また江戸時代にはそれまで無かった植木鉢が普及し、まとまった庭がなくてもOKというのは、相当画期的なことだったようで、それも庶民の文化が発達した要因かもしれません。

さて、そんな江戸の文化を学べる時代小説が、『花競べ 向嶋なずな屋繁盛記』(朝井まかて/講談社)で、向島で種苗屋「なずな屋」を営む、花師の新次とおりんの若夫婦が主人公のお話だそうです。

江戸の植木職人の育種技術は、種から育てる実生や、挿し芽や挿し木、接ぎ木で数を増やしたりなど、様々な品種改良を行っていたということ。有名どころだと、日本原産である「エドヒガン」と「オオシマザクラ」を交配して生まれたソメイヨシノは、江戸末期に染井村(現在の東京の駒込近辺)に住んでいた植木職人らによって生み出された品種であることが知られていますね。

上記時代小説の舞台は、町人文化である「化政文化」が花開いた文化文政期(1804〜1829年)ですが、幕末から明治になると、西欧から輸入された花が美しいともてはやされ、それまでの江戸の園芸文化は急速に廃れてしまいました。

しかし現在でも桜の季節には花見をしたり、各地で朝顔市などが開催されていることからも、日本人の草花好きは変わっていないかもしれません。

自分のことで思い返しても、年齢を重ねるごとに花や木に興味が湧いてきましたし、ついついホームセンターで観葉植物を買ってしまったりするようになりました。もしかすると数年後には盆栽が趣味になっているかもしれません。

屋上庭園や、草花の似合う安全で快適な住まいをお探しなら、鉄筋コンクリート住宅を是非ご検討ください。

それでは。

今日もありがとうございます。


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