大工の造る家を建てるならRCdesign
晴れの東京です。
そんな今日は朝から書類作成、提携会社さん来社打ち合わせ、オンラインミーティング、店舗改修のお客様とお電話、見積作成、業者さんと電話、電気屋さんと電話など。
午後はリフォーム工事計画検討、行政機関さんと電話、渋谷区恵比寿計画検討、見積作成、杭屋さんと電話、蓮根計画検討、資材メーカーさんと電話、提携会社さんと電話、世田谷区新町計画検討など。夕方は管理組合さん来社打ち合わせ、北区上十条計画検討、富ヶ谷計画検討、ミーティングなど。
久しぶりに青空を見た気がします。
ではこちら。
「大工さん」はかつては公務員だった!古代日本の建築職人の社会的地位に関するトリビア
なんと上級貴族だったとは、これまたビックリですが、それほどに貴重かつ重要な技能を持ち合わしていたということだと思います。
いや、貴族になる必要はありませんが、大工をはじめとする職人さん全般の地位や待遇については、全く納得出来るような状況ではなく、それゆえに新しく業界にチャレンジする若い人も少ないように思います。
いつもお伝えしておりますように、すでに絶滅危惧種の指定をされている各種職人なくして、日本のモノづくりは出来ません。職人さんの地位と待遇の向上を実現し、若者の憧れる職業にしなければいけません。
弊社では、創業以来大工さんを直接雇用し続けていますが、当然に高齢化が進む中、近年はカンボジアからの技能実習生を迎えて技術の承継を試みていますし、年齢や性別に関係なく業界にチャレンジする人を応援しています。
大工やモノづくりにご興味のある方がいらっしゃいましたら、お気軽にお問い合わせください。
それでは。
今日もありがとうございます。
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晴れの東京です。
そんな今日は朝から書類作成、提携会社さん来社打ち合わせ、オンラインミーティング、店舗改修のお客様とお電話、見積作成、業者さんと電話、電気屋さんと電話など。
午後はリフォーム工事計画検討、行政機関さんと電話、渋谷区恵比寿計画検討、見積作成、杭屋さんと電話、蓮根計画検討、資材メーカーさんと電話、提携会社さんと電話、世田谷区新町計画検討など。夕方は管理組合さん来社打ち合わせ、北区上十条計画検討、富ヶ谷計画検討、ミーティングなど。
久しぶりに青空を見た気がします。
ではこちら。
「大工さん」はかつては公務員だった!古代日本の建築職人の社会的地位に関するトリビア
歴史上の人物で、大工の神様と呼ばれているのが聖徳太子です。
聖徳太子と言えば飛鳥時代の政治家で、長年、遣隋使の派遣や冠位十二階・十七条の憲法を定めた日本史上屈指の偉人として学校でも教えられてきました(近年はそれらの実績の真偽は疑問視されていますが)。
なぜこの人が大工の神様なのでしょうか。一説によると、彼は現代にも伝わる大工道具の「差し金(曲尺)」を中国から持ち込み、日本の職人たちに広めたとされています。
2024年10月11日 9時36分 Japaaan
なるほど。
これは是非一般の方や学生の皆さんにも知ってもらいたい雑学ではないでしょうか。
今となっては、業界に携わる職人さん達も減少が続いてしまい、絶滅が危惧される状況になっておりますが、日本ではある時代の一時期には大変人気のある花形職業であったそうです。
確かに、弊社に勤めていた昭和の職人さんたちは、「俺たちでぇーくはよー」と話してくれていたことを思い出しますし、みんなが自信と誇りを持ってモノづくりを行っていたように思います。
さて、記事にあった続きですが、聖徳太子は建築に携わる職人の育成や組織づくりにつとめ、法隆寺をはじめとする寺院の建立にも尽力したことから、建築・土木の守護神として信仰されて神聖視されるようになったのでしょう。
特に大仏建立に関しては、その事業に携わった者には最高の敬意が払われました。大鋳師と大工五人は、大仏完成後に従五位下にまで昇格しています。
従五位下となった大工は、立派な上級貴族だったということです。彼らはのちに国司として赴任するくらいの高い地位に昇ったのでした。とのこと。なぜこの人が大工の神様なのでしょうか。一説によると、彼は現代にも伝わる大工道具の「差し金(曲尺)」を中国から持ち込み、日本の職人たちに広めたとされています。
2024年10月11日 9時36分 Japaaan
なるほど。
これは是非一般の方や学生の皆さんにも知ってもらいたい雑学ではないでしょうか。
今となっては、業界に携わる職人さん達も減少が続いてしまい、絶滅が危惧される状況になっておりますが、日本ではある時代の一時期には大変人気のある花形職業であったそうです。
聞いたことがあるかもしれませんが、「火事と喧嘩は江戸の華」などと昔から言われていたようで、お江戸はとにかく火事が多く発生していたらしく、関東平野を吹き渡るカラッ風と木造住宅の密集した街が、たびたび被害を大きくしたようでした。
しかしながら、江戸時代の庶民の家は現代みたいに大袈裟なものではなく、燃えたらまた建てればいいじゃんと脳天気に笑う明るさがチャキチャキの江戸っ子とされていました。
そんな感覚ですから、また家を建てるといっても掘建小屋のような華奢なものですが、それゆえに建築需要は常に高く、職人たちも(よほどの怠け者か、腕の悪くない限り)仕事にあぶれることがありませんでした。
そんな職人たちの中でも「華の三職」と持て囃されたのが大工(でぇく、だいく)と左官(しゃかん、さかん)、そして鳶(とび)だったそうです。
そんな感覚ですから、また家を建てるといっても掘建小屋のような華奢なものですが、それゆえに建築需要は常に高く、職人たちも(よほどの怠け者か、腕の悪くない限り)仕事にあぶれることがありませんでした。
そんな職人たちの中でも「華の三職」と持て囃されたのが大工(でぇく、だいく)と左官(しゃかん、さかん)、そして鳶(とび)だったそうです。
確かに、弊社に勤めていた昭和の職人さんたちは、「俺たちでぇーくはよー」と話してくれていたことを思い出しますし、みんなが自信と誇りを持ってモノづくりを行っていたように思います。
さて、記事にあった続きですが、聖徳太子は建築に携わる職人の育成や組織づくりにつとめ、法隆寺をはじめとする寺院の建立にも尽力したことから、建築・土木の守護神として信仰されて神聖視されるようになったのでしょう。
そんな聖徳太子がつくった建築技術者の組織では、土にかかわる職人が左官、木にかかわる職人が右官と呼ばれていました。
このうち左官は、塗装職人の名称として現在も残っていますが、右官は後に大工という名称に変わり、さまざまな専門ジャンルに枝分かれしていったのです。
大工は右官から変わったものだったんですね!びっくりです。
大工は右官から変わったものだったんですね!びっくりです。
さらに記事によれば、大工といえば今は建設工事を請け負う人たちを指しますが、奈良時代は違っていました。古代日本の大工は、官僚社会の一員であり公務員だったのです。ということ。
奈良時代よりも前は、大工は「大匠」と呼ばれ、官名の一種でした。
大匠という名称は、古代中国の建設担当役所の長官である「将作大匠」を略したもののようです。将作大匠は旧字で將作大匠と書き、宮殿や宗廟等の造営、広く土木工事に携わりました。
日本では奈良時代になると、この肩書が「大匠」から「大工」に変わります。特に、建設事業担当の役所である木工寮の技術系のトップが「大工」と呼ばれるようになりました。と書かれていました。
次に記事に書かれていたのは、平城京の造営に加え、聖武天皇による大仏の造営も大工の力によって行われています。そんなこともあってか、奈良時代の大工の地位は非常に高かったようです。
次に記事に書かれていたのは、平城京の造営に加え、聖武天皇による大仏の造営も大工の力によって行われています。そんなこともあってか、奈良時代の大工の地位は非常に高かったようです。
特に大仏建立に関しては、その事業に携わった者には最高の敬意が払われました。大鋳師と大工五人は、大仏完成後に従五位下にまで昇格しています。
なんと上級貴族だったとは、これまたビックリですが、それほどに貴重かつ重要な技能を持ち合わしていたということだと思います。
いや、貴族になる必要はありませんが、大工をはじめとする職人さん全般の地位や待遇については、全く納得出来るような状況ではなく、それゆえに新しく業界にチャレンジする若い人も少ないように思います。
いつもお伝えしておりますように、すでに絶滅危惧種の指定をされている各種職人なくして、日本のモノづくりは出来ません。職人さんの地位と待遇の向上を実現し、若者の憧れる職業にしなければいけません。
弊社では、創業以来大工さんを直接雇用し続けていますが、当然に高齢化が進む中、近年はカンボジアからの技能実習生を迎えて技術の承継を試みていますし、年齢や性別に関係なく業界にチャレンジする人を応援しています。
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