将軍を守る家を建てるならRCdesign

くもり空の東京です。

そんな今日は朝から書類作成、社内ミーティング、杉並区今川計画検討、渋谷区代々木計画検討、成増のお客様とお電話、商社さんと電話、リフォーム工事計画検討など。

午後は渋谷区西原計画検討、資料作成、塗装屋さん来社打ち合わせ、世田谷区新町計画検討、提携会社さんと電話、お問い合わせ対応など。夕方はミーティング、杉並区高円寺南計画検討、北区赤羽西計画検討、図面作成、ミーティングなど。

帰宅時には冷たい雨になりました。

ではこちら。

江戸城の地震避難用に造られた「地震の間」とは?将軍を守るためのアレコレ

日本は地震大国。

教科書にも載る有名な地震といえば、元禄地震、宝永地震、安政の大地震と枚挙に暇がありません。

しかし、将軍や主君が建物に押しつぶされて亡くなる・・・などと、あってはならないこと。

昔はコンクリートも無いし、免震構造などなかったんじゃないの?と思いがちですが、実は江戸城の見取り図をみると、「地震の間」という地震避難用の部屋が存在するのです。
2021年3月22日 1時30分 Japaaan

なるほど。

日本は今も昔も地震大国なんですね。

記事にもあったように、今はコンクリートという最強の建築材料が使えるようになっていますが、江戸時代以前では地震対策と言っても、出来ることは限られていたでしょう。

記事によれば、地震の間は史料によると「前庭築山の麓と大奥近くの中庭」に存在したとのことで、どの部屋にも接しておらず、広い中庭の中央にポツン、と構える離れのような建物で、周りが倒壊しても巻き込まれないようになっていたそうです。

その建物はどんな建物だったかというと、約3m×4mの一間で、周囲の縁側は板張り、周りは土を盛り上げて築いた階段で作られていたとか。建具は四方とも網障子で屋根は柿葺(こけらぶき)にし、徹底的な軽量化をはかっていたそうです。

さらに、地中部分は掘建柱で地底土台と地底柱挟で結束していること、床を低くしていることなどが耐震構造としていたようですので、大変興味深く思います。

しかし、この地震の間ですが、地震のときに実際に使用されたのかは残念ながら記録には無いそうです。

地震の間という名前からは、大きな建物の中の一室というイメージを持たれると思いますが、あまりにも広すぎるお庭に、ポツンと一軒家的な離れの部屋だったそうですので、それはもちろん地震に対して有利な形状だったと思います。

流石に将軍様と同じような敷地を用意することは難しいでしょうけど、命の大切さは同様に違いありません。

今なら、住まいをRC造にすることで、地震の間に頼らずとも、安心して暮らすことが可能です。

それでは。

今日もありがとうございます。


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